「なんで勉強しなきゃいけないの?」
子どもの頃、誰もがこの疑問を持ったのではないだろうか。僕もそうだった。
日本の高等学校学習指導要領の一部には、履修させる/考察させる/理解させる、と記されているらしい。
この「させる」に違和感を覚える。
この考えでは自主性が損なわれてしまうのも当然だと思し、国が勉学を与えるものなのかと疑問に思えてしまう。
しかし、それが日本のやり方なんたと同時に気づいてしまう。
それは、
日本国を運営させるために、きちんと勉強をさせ将来だれもが職についてもらう必要がある。それにより国に税金を納めてもらうことができるからだ。
ズバリこの本で気づいたことは、
日本の教育は、
将来せっせと働いてお国に税金を納めてくれるいい子なサラリーマンを大量生産するためにあり、自ら考えることを放棄させられてしまったと言える。
世の中の先生、ごめんなさい。
フィンランドでは学習する義務はあるが学校に行く義務はない。
学校が嫌なら無理して行かずに他の形できちんと勉強すればいい。
なにも机に向かうことだけが勉強ではない。
自分で興味のあることを見つけて勉強するから伸びる。
もっと言えば、オランダでは時間割を子供達で決めるのが普通らしい。
「自分が決めたことだから自分で責任を持とう」
この考え方の違いが世界から見て日本人の民意の低さ、さらには社会のベルトコンベアに乗ってしまう思考停止人間を作り出していると思う。
勉強も仕事もやらされていると感じる人は伸びない。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
「なんで働かなきゃいけないの?」
それは、
「自分の好き!」をどんどんやることで自然と見えてくるもの。
好き!面白い!この気持ちが起爆剤となりもっと知りたくなり勉強を始める。
学びとは興味を持つことからスタートする。
ゲームをやること、絵を描くこと、字を書くこと、話すこと、スポーツをすること、パンを作ること。
なんでもいい。
「将来何になりたい?」ではなく、
「将来何がしたい?」の問いが、子どもの未来を切り開いてくれる。
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